「音もなく少女は」

こんばんは!
ボストン・テランの「音もなく少女は」:ヒロインのイヴは生まれつき耳が聞こえません。彼女の姉メアリーも生まれつき耳が聞こえない。イヴを産んだ時に母親のクラリッサは祈ります。「この子も耳が聞こえないなどということは絶対にありませんように」。クラリッサがそう願うのは夫の暴君ロメインが耳が聞こえない子供しか産めないクラリッサに苛立ちを隠さないから。ロメインがどうやって赤ん坊のイヴの聴力を確かめたかというと、ベビーベッドの傍らで銃をぶっ放したんです。もうこんな男死んでしまえ、と心の底から思いました。クラリッサは怯え切っていましたが、自分を責めるロメインにこう答えます。「ふたりともわたしたちの娘よ」。クラリッサはロメインに虐待されて厳しい人生を歩んでいますが、ある時生涯の友人となり、イヴにとっても母親のような存在となるフランに出会います。フランは両親が聾者のための学校を運営していたので手話が使えます。事故でメアリーは亡くなってしまいましたが、クラリッサは残されたイヴには教育を受けさせたい。
この母と娘を支えるフランもつらい過去を背負っています。断種法という法律のせいで、聾者の恋人マックスの子供を身ごもったフランは子宮摘出手術を強制的に受けさせられます。とても乱暴なその処置によって彼女は体に大変なダメージを受け、終生苦しむことになります。もう救いようのない女性たちの苦難の歴史になんと言っていいやら。でもいい小説なんですよ。彼女たちはそれでも果敢に生きていく。
静謐な作品ですが、語られる内容は決して静謐ではない。壮絶な人生ドラマが、こんなに辛い人生が描かれているのに、語り口が静謐です。殺人事件は起きるけれどそこには謎解きの要素は全くない。ただ事件が描かれるだけ。事実としての犯罪が静謐な筆致で描かれてゆく。そして理不尽な社会で、理不尽な運命に苦闘しつつもそれでも手を携えて生きていく女性たちの姿が重厚に描かれる。もう圧倒的に素晴らしい。こんな紹介では読みたくないぞ、と思われそうですが、ぜひお読みください。決して読後感は悪くないです。傑作です。
ところでこの作家は覆面作家で、生年も性別も公表されていないそうですが、メールによるインタビューを見つけました。「WEB本の雑誌」というサイトで読めます。作者は影響を受けた日本文化をいくつか挙げています。小津安二郎の「東京物語」、三島由紀夫の「豊饒の海」、芥川龍之介の「藪の中」「地獄変」、阿部公房「砂の女」。ますますもって読んでみたくなる作家です。他の既訳作品は「神は銃弾」「死者を侮るなかれ」「凶器の貴公子」「その犬の歩むところ」「暴力の教義」「ひとり旅立つ少年よ」です。
お休みなさい。2023.12.12