「BUTTER」その3でおしまい

柚木麻子の「BUTTER」(令和2年2月、新潮文庫)その3でおしまい:雑誌記者町田里佳は、取材対象の首都圏連続不審死事件の被告梶井真奈子との接触がきっかけで、食の世界にのめりこみます。当初は梶井からの指示通りに動いていた里佳ですが、次第に自分軸で食と付き合うようになります。まずは過去との対決。里佳の父親は離婚後、投げやりな暮らしぶりで、見かねた周囲の人々がわざわざ母に「意地を張らないで帰ってきてあげたら」と言わせる程のていたらく。里佳はそういう人たちに反感を抱きます。「まるで、父が大きな赤ん坊で、母が育児放棄しているかのような口ぶり」。女に捨てられたくらいで自滅していく男たちへの嫌悪。里佳は父にそういう匂いを感じて、時々会いにいっていたけれども、家庭科の授業で習った料理を作ってあげると約束しけれども会いに行かなかった。その時に会いに行っていれば父の死を防げたかもしれない。里佳がその後父の元を訪れたときには父は病死していました。その過去、父への罪悪感を乗り越えるために里佳は料理を作る。そして思う、梶井の被害者たちは、突然打ち切られた梶井の庇護を失って自滅したのではないかと。
実際に梶井が男たちの死にどれほど関与したかを描く小説ではないし、端的に言えば犯人探しの小説ではないのえ、その辺はあいまいかもしれません。まあそれはさておき、里佳が最終的にたどりついた食の意味は、連帯だったように思います。
里佳は、作ったこともない七面鳥料理に取り組みます。10人分のレシピ、大きなオーブンも必要。数日かけて準備する大変な作業。でもつながる作業。本当はやり直したい人間関係をもう一回つなぎ、ちょっと疲れた人がもう一回生き直す場として提供できる料理。
梶井が提供した料理は相手を支配する料理でした。里佳は梶井を好きになっていたように思いますが、違う料理を求めた。この作品が最後に提出した料理の意義は、未来につながる料理でした。

「BUTTER」その2

柚木麻子の「BUTTER」(令和2年2月、新潮文庫)その2:雑誌記者町田里佳は、仕事中心の生活を送っている30代女性。現在の取材対象は、首都圏連続不審死事件の被告梶井真奈子、容姿に恵まれない彼女が、男たちから金銭的援助を受けて生活していたという事実に注目が集まった事件。梶井は言います。「男の人をケアし、支え、温めることが神が女に与えた使命であり、それをまっとうすることで女はみんな美しくなれるのよ」。共感できないけれどもなぜか圧倒されました。迷いがない徹底ぶり、男性に尽くすことを100%肯定する揺るぎのない姿勢。でも里佳はこの発言が梶井の本音とは思えない。どこかでいつまでもただ甘えるがけの男たちにうんざりしたのではないか、そのターニング・ポイントはどこにあるのか?
梶井が、高給フレンチ店が主催するサロン的な料理教室に参加し始めた頃から男たちが死に始めたことに気がついた里佳は、その料理教室、サロン・ド・ミユコに参加します。高級な素材をふんだんに使う料理教室。ここはスクールではない。調理師免許が取りたいとか、起業したいとか、そういう実務的なこととは無縁のお教室。参加者の一人、チヅさんは言います。「お互いが普段何してるかよくわからないまま、一緒に料理を作って、それが楽しかったのよね」。
私はヨガ・スタジオに10年くらい通っています。顔見知りも多く、会えば楽しくお話しますが、実はお名前も知らない。でもそういう空間の楽しさはわかります。気楽なんですよ。
梶井には余裕がなかった。彼女は教わった料理をマスターすることにこだわる。「料理って、自分のために作ってもいいんですね」と「ぽつんと言って」いたことを覚えていた参加者の言葉が里佳にヒントを与えます。
愛されることを目指すならば努力が必要、梶井は努力した。でもマスターした努力をわかってくれるほど彼女の男たちは聡明ではなかった。サロンで覚えたフランス料理、ブフ・ブルギニョンは、ビーフ・シチューとして消費されました。

2026/16

「BUTTER」

柚木麻子の「BUTTER」(令和2年2月、新潮文庫):木嶋佳苗事件から着想を得た作品です。でも作者は現実の事件を追うわけではなく、女たちの連帯と、男たちと女たちの齟齬を描いています。
誰の為に料理を作るのか、食べるとはどういうことか、そこに切りこんだ作品でもあります。
結婚したい男性がいれば彼の胃袋をつかめ!的な記事はときおりあるように思いますし、「家庭的な女性」というキーワードはおいしい食事を振る舞える女性のイメージです。たとえば肉じゃがが得意な女性、男性受けする料理を作れる女性、男性からの好感度が高そうな女性。
そういう女性の代表が、デブでブスと酷評された梶井真奈子、彼女は容姿に恵まれていないのに男たちの欲求を満たすことで、裕福な男たちから金銭を引き出して生き抜いてきました。その落差が注目され、週刊誌記者の町田里佳は拘留中の彼女に接触することを選ぶ。
でも彼女の恩恵を受けていた男たちは、彼女をブスでデブだと証言する。「ご飯を作ってくれる家庭的な女であれば、もう誰でもよかった」。明らかにルッキズムで梶井を見下している。丁寧に作られた食事をお前ら堪能したんでしょ。
里佳は、梶井に好感も反感も入り混じった感情を抱きながらインタビューを続けます。梶井の話は虚実が入り混じっている。その話の真実は何か、取材も交えながら、今まで食に興味がなかった里佳は梶井が示した食の世界にのめり込んえいく。
里佳は独身なので基本的には独りで味わうけれども、たまたま訪れた恋人誠に料理を振る舞ったら、里佳が料理で誠に結婚を迫ったと誤解されて悩む。でも取材の為だけだとはまだ言えない。まだ取材中なのよ。
料理を作ることは、自分のためであることも家族のためであることも意中のひとの胃袋をつかむことでもある。人への支配につながることもあるかもしれない。食事を提供してくれる人への依存を招くかもしれません。
食べるということの多様性をまずは読む、そこから始まる物語は、生育歴にも関わっていく。私たちの過去と現在をつなぐ食、里佳のように食に無頓着だった人にも、ターニング・ポイントには食の記憶が実はある。
里佳の父親が亡くなった経緯にも食の記憶がありました。里佳はその記憶をなぞりました。

2026/7/15

「ナイルパーチの女子会」その2でおしまい

柚木麻子の「ナイルパーチの女子会」(2018/2、文春文庫)その2。同性の友達が欲しいのに、友達候補に支配的に振る舞ってしまうこじらせ女子の物語。イタいヒロインは志村栄利子、彼女はバリバリのキャリアウーマン、両親のことが大好きで、両親の期待に応える人生を概ねでは送っています。でも高校時代に幼馴染の親友を陥れた過去があります。自分以外の友達を作って自分とは疎遠になってきた友達を許せなくて、彼女を誹謗中傷しました。その友達は圭子、栄利子が新たに友達になろうとした翔子にこう忠告します。
「一緒にいると息が詰まるでしょ」「あの子はね、つくりものなの。全部をへたくそなその場しのぎの嘘で塗り固めているの」
栄利子は共感できる登場人物ではなく同性に対するストーカーのような振る舞いに思わずぞっとする。こんな人が身近にいたらいやだな、と思いながら読みました。
でも栄利子を否定できないと思うところもあります。彼女は努力の人です。努力すれば向上できる。その思いが彼女の原動力で、入試も就職戦線も勝ち上がってきました。私もそういうふうに生きてきた過去があるように思います。でも栄利子は、自分は友情を育めない、そういう劣等感は根底にあるけれどもその自覚をねじ伏せて生きてきた、いわば豪腕人生が結局は彼女の人生を壊す。でも、そういう気持ち、わかりますよね。自分の欠陥をうすうす感じているけれども自覚したくない。
栄利子は、翔子がさして罪もない若い男の子とのデートでキスしている場面を撮影して翔子を脅します。一緒に旅行することを強要した結果、やっと栄利子は悟る。「どんなに望もうと、この女と親友になるのはもう不可能なのだ」
栄利子は母に相あんします。「私、どうしても他人の気持ちがわからないの」。母は応えます。「友達は家族ではないのよ」
家族は気が合うとか一緒にいるのが楽しいとかそういう範疇ではありません。私の家族は現在妹だけですが、彼女は私が姉だから、私は彼女が妹だから付き合えるのであって、赤の他人として出会ったら友達にはならないように思います。でも肉親だからつながれる安心感はある。
この作品は、高校生直木賞に輝いたそうです。高校生がつながることの難しさというよりは、つながれない原因は自分の中にあると描いた本作を評価した、ということは印象に残りました。

2026/7/14

「ナイルバーチの女子会」

柚木麻子の「ナイルパーチの女子会」(2018/2、文春文庫)。同性の友達が欲しいのに、友達候補に支配的に振る舞ってしまうこじらせ女子の物語で」。イタいヒロインは志村栄利子、友達候補の丸尾翔子を追い詰めてしまう。翔子はゆるい専業主婦生活をブログにアップしている人気ブロガー、栄利子はバリバリのキャリア・ウーマンですが、翔子のゆるいブログのファン、翔子のブログの更新を楽しみにしています。翔子は「おひょう」と名乗り、たとえばこんなことを書いています。
「子供は欲しいけど、作るところまで全然到達しないんです!セックスって始まってからはそうでもないけど、やるまえが面倒くさいじゃないですか」
これ、私は面白いと思いました。相手の男性がムラムラしているかどうか、こっちの欲望のほうが勝っていて空振りかも、なんて考えるの、めんどくさいかも。
栄利子と翔子は近所に住んでいて、栄利子は偶然知り合った翔子にあなたのファだあと告げ、楽しい時間を過ごしますが、その後は私が一番の読者だから、翔子が私の思うブログを書くべきだと思います。ついには翔子のブログを乗っ取る。栄利子がおひょうになる。
最初に女友達のお話だとは書きましたが、実は父性の物語であるように思います。
翔子は父親が大きらい。でも脳梗塞で死にかけていた父親をうっかり助けてしまう。死んだと思ってほっとしたのに生きていた父親を支えるはめになってしまった。でももう父親に支配されたくない、翔子は父の足の手入れをしながら自分が今後の主導権をにぎると宣言します。母にもその後の後妻にも逃げられて自堕落な生活を送った挙句の父のていたらく。
ここで示される主題は、女の庇護を失った男の勝手な自滅に関わらされる女の悲哀。この主題は、作者の話題作「BUTTER」につながっていきます。
本作で示される栄利子の物語は、また違う主題につながっていくように思います。
共感できないにもほどがある困ったヒロイン栄利子、友たちであることは、一緒にいることに利害や緊張感やあらゆる夾雑物がないこと、ただただいっしょにいることが楽しい。そういうものだということを知ることが必要かもしれません。

右の写真は、アーちゃん。もうとっくに亡くなったけど、ちゅーる待ちがかわいい懐かしい写真です。

2026/7/13

「キル・フォー・ミー キル・フォー・ユー」読書会

福井読書会に行って来ました。課題本は、スティーヴ・キャヴァナーの「キル・フォー・ミー キル・フォー・ユー」(吉野弘人訳、2026/6、小学館文庫)です。ゲストは本作の翻訳者の吉野さん、翻訳の経緯も伺えて大変楽しい読書会でした。
作者のスティーヴ・キャヴァナーの既訳作品は「弁護士の血」(2015年、ハヤカワ・ミステリ文庫)のみで、本国では「エヒー・フリンシリーズ」として続編が何編も出版されているにもかかわらず途絶えている状況だそうで、本作がノン・シリーズなので、違う出版社から翻訳を出すならこれかな、ということもあり持ち込みで翻訳されたそうです。
私は「弁護士の血」は未読ですが、読んだ方たちは絶賛されていたので手に入れば読みたいと思いました。
本作は、幼い娘を小児性愛者に殺されたアマンダの物語と、夫の留守中に殺されかけて九死に一生を得たけれども、この犯人がまた自分を殺しにくるのではないかと怯えて精神を病むルースの物語です。この二つの話が交差するところは圧巻です。
現在、小児性愛者への世論は大変厳しいそうです。刑務所でも小児性愛者の犯人は最下層の囚人だそうで差別されるらしい。差別はいけないと一応言いたいと思いますが、大人を信頼する子供たちに加害する人間ってどうなの。
私は仕事として保護された子猫に関わったことがあります。なかなか懐かない子もいたし、すぐ懐く子もいましたが、一度信頼を得ると本当に信頼してくれる。人間の子供はもっとそうだろうと思うと、アマンダの事件はつらいなあと思います。
私自身は、作者のミステリーとしての仕掛けの鮮やかさも好きですし、上手いなあと思ってわくわく読みましたが、アマンダとルースが事件の当事者としてどれほど傷ついて、奪われた未来を失ったことに打ちのめされたか、その心理描写の細かさが胸に迫りました。犯罪被害者の心がどれほど痛ましいものかを、エンタメの面白さと同時に描いた作者の力量は素晴らしいと思いました。でも、事件後の二人の生き方は百八十度違います。あなたはどう読みますか?
さて、吉野さんの翻訳作品の今後は、「彼女は水曜日に死んだ」のリチャード・ラングの長編だそうです。
明日も面白い本を読めるといいですね。

2026/7/12

「終点のあの子」その2えおしまい

柚木麻子の「終点のあの子」(2012/4、文春文庫)その2でおしまい:4作の連作短編集です。中高一貫名門私立女子校の少女たちの群像劇。自分とは異質な同級生に心を惹かれるけれども、結局はつながることはできない。そのいらだちから過剰に攻撃してしまう物語が、冒頭の「フォーゲット・ミー・、ノットブルー」です。つながりたいけれどもつながれない気持を解消できないもやもやが、わかってくれないこの子を罰したいという気持につながってゆく。
希代子は、有名な写真家の娘で奔放な朱里(あかり)に魅了されます。学校はサボりがち、でも希代子はそんな彼女に惹かれるけれどもそんな朱里の行き方は踏襲できない。好き勝手に生きてるのに、それなりに学内で存在感を示す朱里、いい子であることから逃れられない希代子に朱里は「意気地なし」と言いました。
朱里は、希代子が本当は脱線したがっていると感じたので、学校をさぼって一緒に江ノ島に行こうと誘いましたが、希代子はできなかった。折角誘ったのに学校に登校することを選らんだ希代子を朱里は気に入らなかった。だから「意気地なし」と言った。でもその言葉は希代子の心を深く抉る。
少女たちでなくてもすでに大人になっていても生い立ちから自由な人間はあまりいないと、私は思っています。この連作短編集の少女たちの家庭環境を作者は鮮明に描いています。容姿の問題も女性を描くのであれば避けては通れない。女性として生まれたら、容姿がどんなに自分の人生に関わるか、いやでもわかる、
ただ、この作品は、恵まれた生育歴を持つ女の子たちの行き違いを描いています。自営業でいけてない家業を隠す子もいますが、基本的には私立の中高一貫校に通える経済力を持つ家庭の少女たちの物語、その彼女たちの嫉妬や羨望が引き起こす事件の痛々しさが新しいのかな、と思いました。
恵まれた生育歴とまあ、書いてはみましたが、そういう家庭を演出した女性、希代子の母はそんな人。昭和の、24時間戦えますか的な夫の海外赴任不在時に、フルタイムで働きながら完璧に家事をこなす。希代子は母が大好き。母のことは尊敬している。でも、そんな母は希代子の目にフィルターをかけている。希代子は理想的なおうちの子。本当にそうなの?
家族の運営には本当は見えない犠牲が多分ある。
自分の気持が見えない不器用な女の子たちの物語。「終点」が必要な女の子たち。欲しいものがわからない。でも本当に欲しいものを朱里は見つけた!大好きな友達の杉ちゃんに彼女は言う。
「私のこと、見捨てないでよ」
本当に欲しいのは、杉ちゃんの友情でした。

2026/7/10